7回目。寒中見舞い申し上げます。今年もよろしくなのだ。

<孫日記>
年末と年明け2日にK野家の新年会で活躍した、M子とS治。昨年の新年会より格段に成長した感じです。なんといっても会話が出来るようになったのがとても大きいと思うな。(^.^)b
M子は昨年から幼稚園へ行ってるせいか会話が大人びてる時があるし、誰かが言っていたが、髪の毛がおとなになったと。S治もK野家の庭石に登り降りがあぶなげのないものになっている。その日は二人ともママ付で泊まって行き、次の日M子を家まで送って行った。途中で寝てしまい駅から抱っこして行った。16Kgはさすが重いが、ぐにゃぐにゃしてて抱っこが大変だった。M子ママも小さいころ、ぐにゃぐにゃしてて、しっかりつかまってくれないと抱っこするのが大変なのを思い出した。M子ママは小さい頃エスカレーターを異常に怖がり葉山の保養所へ行くとき東京駅の地下駅(階段がなくてエスカレーターしかない)で必ずおれが抱っこしたものだ。
画像
<GGコーナー>
昨年、親父が天国などへ出かけましたので寒中見舞いとなりました。今年の正月はメタボリから脱却するべく毎日走るぞと決意し、決意しましたが実行がことのほかむずかしく、孫が遊びに来たりなんだりで、今年もだめかなと思いました。が、本日1月4日に約30分断続的ではありますが、走ることが出来ました。後2日、冬休みがありますので、がんばるぞ。もう少し長く走れるようになりたいぞ。毎週日曜のテニスが(90分のレッスン)が楽にp(^_^)qできるくらいになりたいのです。あとは、レパートリーを増やしなんでもありのホームコンサート(^.^)b(毎年夏昨年で15回目)でやるぞ。参加募集。今年もヨロシコさん。
<親父の”母の思い出”コーナー>
「今回から始める(親父の”母の思い出”)です。親父が天国に行って、遺品を整理してた時に見つけたものです。もっと長いと、本にしたのに、残念です」
私の母は片足がなかった
 交通事故である。 今から約80年前である。正確には大正十二年六月二十九日午後。
住居はその後三回移転したがその都度鴨居にその事故の事で警視総監からの賞状が掛けられてあったので今でも暗記している。
 當時本郷区根津八重垣町(今の文京区根津)の市電(路面電車)の線路道で歩道が両側に仕切りの無いまま少しあった。父は神田の印刷屋の職工で弁当持って毎日通って居た。
 母はそこでタバコと雑貨の店番をしながら家事にいそしんで居た。
左隣に米屋さんがあり私より一つ年下の男の子が居りチョコチョコと線路に歩き出して仕舞った。折から右の方から一輌ながら電車が進行して来た。店番をして居た母はあわてて飛び出し正にしかれ相(原文まま)な男の子を手元に引いた時片足が前に出て膝から下が粉砕されて仕舞った。その男の子は幸いカスリ傷一つなく無事だった。しかれ相は轢かれそうだろうな(つづく)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

GTO
2008年01月06日 18:56
今日のレッスンお疲れさまでした。ブログを初めて覗かせていただき、GGさんの意外な一面が見られてとてもよかったです。これからも、ちょこちょこおじゃまさせていただきます。それでは、また来週、コートでお会いしましょう。
パワフル1児のママ
2008年01月07日 16:32
あんなに恐怖だったエスカレーター…。もう、今はハッキリ覚えて無いけど、エスカレーターから異様な物を感じていて、怖かった誰でも、生活の中の色々な出来事によって、何かに恐怖を抱く事って有るんじゃないかな?感受性の強い子供時代なんか…

この記事へのトラックバック